被害者を非難する心理について

こんにちは。

 

世界中で話題になっている#me too運動。

 

日本では、12月にブロガー・作家のはあちゅうさんが過去のセクハラ・パワハラ被害を訴え、その先陣を切りました。

 

しかし、ネット上には被害者であるはあちゅうさんを責める声が多数あがりました。

www.huffingtonpost.jp

 

遅くなってしまいましたが、私が感じた「被害者を責める心理」について書いてみたいと思います。

 

公平世界仮説

被害者非難に関する最も有名な心理学理論である「公平世界仮説」。

日本心理学会のページの説明が分かりやすかったのでそのまま引用します。

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人はなぜ被害者を責めるのか|心理学ミュージアム

   

「理想的な被害者」と違うことへの反発

はあちゅうさんは、過去に童貞いじりをしていたことがやり玉に挙げられました。

はあちゅうさんの童貞いじりを不快に感じた人や傷ついた人はいると思います。

ただ、それは表現の自由の範囲内でのことです。

それに加え、童貞を茶化すようなことを言ったことがあるからと言って、セクハラ・パワハラに耐え続けなければならないなんてことはあり得ません。

 

しかし、このような「しおらしくない被害者」と自身の持つ「かわいそうな被害者像」とが認知的不協和を起こし、「擁護する必要はない」という意識を生起させているものと考えられます。

 

意に沿わない性交渉をさせられたとして訴えた伊藤詩織さんの件では、会見の時に胸元が空いた服を着ていたことが非難の対象になりました。

 

このように、自身が描く「理想的な被害者」でない場合に、被害者非難の傾向が強まっているように思います。

 

 弱い方のせいにする方が簡単

人は、責任の所在がある方ではなく、「自分が指摘しやすい方」に注意してしまう傾向があります。

 

現在の権力構造上、大人の中で最も力を持たない「若い女性」は非難の対象になりやすいと言えます。

 

セクハラ被害にあった人に対し、「セクハラはひどいけど上手にかわせて一人前だ」と注意をしてしまう人はこのタイプでしょう。

  

忍耐の連鎖

「そのくらい耐えるべき」というような意見もありました。

「自分がセクハラ・パワハラに耐えてきたから他の人も耐えるべき」と考えるパターンです。

忍耐の連鎖と言えます。

 

あるいは自分が耐えてきたからこそ耐性がついてしまい、物事の重大さを過小評価してしまうという説明も可能かと思います。

 

男尊女卑社会の秩序の維持

自分がセクハラの告発をされることを過剰に恐れる人もいました。

セクハラ・パワハラをしている心当たりがあるのか、それとも想像上で冤罪被害を恐れているのかは分かりませんが、訴えられるリスクを減らすには被害者を叩くよりも、ハラスメント(もしくはそう受け取られる恐れがある行為)をしないことの方が直接的なはずです。

 

それにもかかわらず被害者を非難してしまうのは、自分の立場を脅かす女性の存在を脅威に感じる心理があるように見受けられます。

 

ホモソーシャル社会に生きる男性にとって、社会の構成員は男性であり、女性はあくまでサポート役です。

その枠組の中では、男性のセクハラを告発するなど許されない行為なのでしょう。

 

男性の中で、はあちゅうさんのような「強い女性」を過剰に恐れる、もしくは嫌悪の対象としている人はこのようなタイプのように思います。

 

また、女性であっても「男性社会に馴染むことが善」と考える、いわゆる名誉男性と呼ばれる人がいます。

このようなタイプの女性は「立てなければならない男性を告発するのは悪いこと」という心理で被害者を責めてしまっている可能性があります。

 

セクハラと恋愛の違いが不明確

「セクハラを禁止すると口説けない!」という意見もありました。

  

この違いが分からないというのは、加害者にとってありがちなことのようです。

こちらの記事にもそのことが書いてあります。

 

男性のほうは“男女問題”の一種だと認識していて、被害者女性もそう思わされてしまっているけど、実態は典型的なセクハラ問題だった、というのは本当によくある話です。

セクハラは男性の問題である。立場上の優位性ありきの関係を「プライベートの恋愛」と誤解する人たち - wezzy|ウェジー

 

セクハラと恋愛は全く別物のはずです。 

恋愛は信頼関係が基盤にあるものですが、信頼関係の形成をないがしろにして性的な関係を求めることは、暴力に近い行為です。 

この主張をする人には何らかの「認知の歪み」が あるように見えます。

 

個人的には、セクハラかどうかの線引きが分からないという人は、基本的に「嫌だったら嫌だと言える雰囲気」だけ作る努力をして、嫌だと言われたらやめるということを徹底するのが大事だと思います。

 

「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉がありますが、職場という、人間関係を円滑に保つ社会的要請が存在する場所での「嫌」は、本気の「嫌」である可能性が高いです。

「嫌よ嫌よは嫌なんだ」と覚えておくのがいいと思います。

 

最後に

私自身が感じた被害者を非難する人の心理をまとめてみました。

 

今回、被害者への非難の声が多かったことにとても複雑な気持ちになりました。

この記事での伊藤詩織さんの発言に胸が痛みます。

性暴力は突然、いつ誰に起きるか分からない。世界のどこでも。でも私には、その後の展開の方がショックでした。本当に絶望的になりました。自分はこんな社会で暮らしているんだと、それまで気づいていなかったので。

日本でも「#MeToo(私も)」の声 伊藤詩織さんの話 - BBCニュース

 これは詩織さんが日本の法制度について感じたことを語った発言ですが、私は被害者を非難する社会に対しても同じようなことが言えると思います。

 

 ただ、 私は「善良な」立場からこのようなことを言っているわけではありません。

 

私がセクハラに反発しなかったから加害者を調子づかせた経験もありますし、他の人がセクハラされているかもしれない場面で止めなかったこともあります(傍観者は加害者に無言の同意を与えているのと同じです)。

 

さらに、セクハラ・パワハラは相手の主観によるものなので、自分の発言がセクハラ・パワハラと捉えられる可能性は一切ないということを断言することもできません。

 

ただ、自分が加害者になる可能性が0ではない以上、せめて被害者の声に耳を傾けられる人間でありたいと思っています。

 

そのような意味で、被害者を非難する声が多いことにある種の恐ろしさを感じました。

このような風潮は自分の世代で終わりにしたいと強く思います。

 

なんだか雑多で取り留めのない文章になってしまいましたが、長文にも関わらず読んでくださってありがとうございました。